本サイトの連載「住吉祐一郎のウイスキー蒸留所訪問」や、電子書籍「ウイスキーに、誘われて」でもおなじみ、ウイスキー・ジャーナリストの住吉祐一郎さん。世界のウイスキーに関する取材・執筆活動のほか、福岡市内ではご自身のバー「BAR LEICHHARDT(ライカード)」を経営。
当サイト、プラグインアーツ・コネクトにおいては、ウイスキーの魅力を多くの方に伝えるConnector(コネクター)として、取材や連載執筆、コーナー監修などで活躍されています。(※Connector コネクター)
今回は、ウイスキーの専門家としてのご自身の歩みや、読者の方へウイスキーの楽しみ方を伝授していただきました。(編集部)
住吉祐一郎(すみよし・ゆういちろう)
ウイスキー・ジャーナリスト、BAR LEICHHARDT(バー・ライカード )オーナーバーテンダー。福岡県生まれ。2000年、オーストラリア国立マッコーリー大学政治学部を卒業し、帰国後に英会話・通訳・翻訳事業を行う。海外におけるバーのプロデュース、セミナー、取材で世界中を飛び回っており、ウイスキーに関する活動多数。
竹鶴シニアアンバサダー、ザ・リッツカールトン福岡ウイスキーアドバイザー、ジャパニーズ・ウイスキー・ストーリーズ福岡(JWS)実行委員会実行委員長、東京ウイスキー&スピリッツコンペティション洋酒部門・焼酎部門公式審査員。
著書に「ウイスキーに、誘われて」(プラグインアーツパブリッシング)」、共訳書に「ウイスキー・ライジング」(小学館)がある。
〈書籍情報〉
住吉さんの電子書籍「ウイスキーに、誘われて ~英語で旅するバーテンダー(ニュージーランド・カードローナ蒸留所編)〜」の詳細はこちら
バー経営に至るまでの、長くも楽しい道のり
― 住吉さんは、バー経営にとどまらず、ウイスキー普及に関するさまざまな活動をされていますね。まずはウイスキーに興味を持ったきっかけを教えていただけますか?
「ウイスキーは成熟した大人が飲むお酒」。そんなイメージは、みなさんきっとお持ちなんじゃないかと思います。僕は中学生の頃に、落合信彦の小説「ただ栄光のためでなく」を読んで、ウイスキーの存在を知りました。大きな仕事を成し遂げた男が、バーでワイルドターキーをストレートで飲み干す。喉がカッと灼けるように熱くなり、生きていることを実感する。その描写にずっと憧れを抱いていました。20歳の時に初めてバーに行き、「ついにこの日が来た」とばかり、小説の真似をしてターキーをストレートで一気飲みしたら、びっくりしてそのまま吐き出しちゃったんですけどね(笑)
― 苦い初体験というわけですね(笑) 学生の頃は海外へ行かれていたとか。
ええ。ジャーナリズムや国際政治を学ぶために、オーストラリアに留学しました。その後就職もして、4〜5年はオーストラリアでの生活を楽しんでいたんですが、自由でありルーズでもある風土がしっくりこなくて、日本に帰ってきっちり働きたいと思い始めました。それで、福岡に戻って通訳や英会話の事業を始めたんです。
—なるほど。でも、そこからウイスキーにどう繋がるんでしょうか?
日本に戻ってから、お酒好きの先輩によく飲みに連れていってもらったので、ウイスキーは先輩の勧めでチビチビ舐める程度でした。でもあるとき、山崎12年を飲んで、そのおいしさに驚いて。初めてウイスキーのおいしさというものがわかった気がしました。そこから興味が出てきて、本屋で世界の洋酒図鑑を買って、酒屋めぐりをするようになって。通っていると酒屋のおじちゃんとも顔なじみになって、「次はこれ飲んでみるといいよ」なんて教えてもらいながら、深みにはまっていきました。
—自宅でもウイスキーを飲むようになったわけですね。
飲むどころか、買い集めて自宅に収まらなくなっちゃったんです。当時は英会話の学校を立ち上げて、外国人の講師を雇い、生徒も増えてきたので、カフェを開いた頃でした。最初は英会話をする場所としてカフェがあればいいと考えていたんですが、気になるウイスキーは片っ端から買ってたので、自宅からあふれたウイスキーを店にも置くようになって。そうしたら、カフェというよりバーのようになってしまって、ウイスキーファンも来てくれるようになったんですよ。
—それが「ライカード」に繋がっていくんですか。
そうなんです。カフェのようなカジュアルな空間ではなく、夜のイメージでウイスキーを出せるバーを作ろうと思って。現在の場所に移って、今年で11年目になりました。外国人のお客様も多く、おかげさまでたくさんのお客さまに恵まれて続いています。
—今や住吉さんといえば、海外や国内の最新ウイスキー事情にも精通し、日本のウイスキー界で確固たるポジションを築いていらっしゃいます。好きが高じてお店を開いたとのことですが、どのようにして現在の地位に至ったのでしょうか?
ウイスキー界での自分の地位なんて考えたこともなく、ただ好きなことに没頭して、気づいたらこうなっていたという感覚です。文献を読み漁り、自分で試飲し、気になる蒸留所を訪ねたり。日本のウイスキーを紹介したくて、オリジナルのカクテルもずいぶん作りましたし、その流れで竹鶴シニアアンバサダーにもなりました。「ウイスキー・ライジング」という本については、著者のステファンと知り合いで、彼の本が素晴らしかったので日本語版を出すべきと進言して、翻訳を手伝うことになりました。そんな風に、冷めない情熱のまま走り続けて、今があるという感じですね。英語、ジャーナリズム、飲食店経営など、これまでやってきたことすべてが繋がっていると感じます。
次ページ「ウイスキーの魅力は、ひとつとして同じものがないこと」
この記事に関するコメント