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常識にとらわれない「好きを仕事にして働くこと」への考え方 | パラレルワークのススメ 第3回

パラレルワーク3

前回、会社で上司や同僚、同期の仲間に「歌のレッスンに通い始めた」と公言しパラレルワーク実現に向けて動き出した橋沢さん。新たな「好きなことを仕事に」のチャンスが訪れたとき、現在の仕事はどうするか。その時、何を考えどう行動したのか?
後にパラレルワークを実現する彼女の当時の気持ちをお伺いしました。


3年目にチャンスが!

社会人2年目、歌のレッスンを再開してOL生活をしながら再び歌を歌う日々を過ごし、1年が経過。ついに社会人3年目に突入。そう、この記事の初回で就活中だった私が考えていた「3年経ったら辞めて音楽活動に専念しよう」と思っていたその3年目があっという間にやってきました。

そしてこれまた計ったようなタイミングで、私がとても憧れていて「絶対そこに入りたい!」と思っていた日本屈指のゴスペルグループがオーディションを開催するという情報が入ってきました。今考えても「出来過ぎじゃない!?」というタイミングだったなぁと思います。
オーディションに向けてとにかくひたすら練習し、グループ創設者の日本のゴスペル界のビッグママ、グループのリーダー格のメンバーが勢揃いする前で、口から心臓が飛び出しそうなくらい緊張しながらオーディションを受け、後日「合格通知」を受け取りました。

郵送で届いた合格通知を受け取ったあの瞬間のことは今でも忘れません。おそらく私の一生の中で1、2を争うくらい嬉しい瞬間でした。翌日の会社でも後輩に「めちゃくちゃ機嫌良いですね、何かありました?」って聞かれたくらいです(笑)

プロのレベルに直面

私が加入できることになったそのグループは日本のゴスペル界の中ではかなり有名で、当時流行していた『THE夜もヒッパレ』という音楽バラエティ番組にコーラスとしてかなりの頻度で出演したり、超有名アーティストの当時のシングル曲のバックコーラスを担当していたりしていました。(なのでそのアーティストが音楽番組でその曲を歌う時は、毎回出演していました)

そんな様子をずっとテレビで見ていた憧れのグループ。そのグループの一員として歌が歌える!ということはきっと、お仕事ができるに違いない!これはもう本当に3年間勤めきったら会社は退職だ!と、私の夢は膨らむばかりでした。

しかし、さすがは日本屈指のゴスペルグループ。いざ定期的なリハーサル(いわゆる稽古みたいなものですね)に参加してみると、メンバーの数は半端なくたくさんいるし、歌のレベルが全然違う!その中でもいつもテレビで姿を見ていたようなメンバーは特に別格でした。隣で歌える機会が巡ってきた時、あまりの自分の歌と違い過ぎて衝撃…。その時点で「グループへの加入は、ただのスタート地点に過ぎないんだ。ここからどうするかが大事なんだ!」と切り替え、今まで以上に歌の練習に力を入れることにしました。グループの定期的なリハーサルに加えて、個人のボイトレも新しく通い始め、更にはリズム感を鍛えるべくダンスレッスンにも通うことに。私の会社以外の時間は、ほとんど歌の為に費やしていました。

そんな毎日を過ごしていて、私はあることに気付いてしまったんです!

ゴスペルシンガー

仕事も楽しくなってくる

分からないことしかなかった社会人1年目。
「あ、これやったことある!」と少しだけ余裕のできた2年目を経て、3年目に突入した会社員としての私。
3年目の事務職ともなると1年を通しての流れも掴めるようになり、今までより広い視野で先のことも予測しながら「この時期は忙しいからレッスンはあまり入れられないな、逆にこの時期は閑散期だからレッスンの比重をあげよう」と、会社員の仕事と音楽活動のバランスを自分でコントロールできるようになっていました。
そしてもっと言うと、自分の担当するどんな業務にどのくらい時間がかかるかも見えてきていたので「この仕事は締め切りから逆算して考えても今日絶対にやる必要はないし、他の人に迷惑もかけないな。じゃあ今日はリハーサルがあるから残業しないで帰ることにして、明日集中して頑張ろう」という日々のタスクの振り分けも、あえて後回しにするという選択が出来るほどに、仕事のことが理解できるようになっていたんです。

こんな風に自分なりに仕事のスケジューリングをして業務を進められるようになった私は、まさかの3年目で「仕事が楽しい!」と思うようになっていました。

音楽活動する前提でひとまず親を安心させるための就職だったのに、音楽活動する前提で選んだ事務職だったのに、いざやってみたら年を経るごとに出来るようになっていく、分かるようになっていくことが増えていったのが嬉しくて、会社員の仕事にもとてもやりがいを感じてしまっている。
自分でも戸惑いましたが、実際の所、加入したゴスペルグループには猛者ばかりで、新人の私が参加させてもらえるお仕事と言えば「メンバー全員参加」や「人数が必要だから可能な人は全員参加!」という条件のものだけで、自分はまだまだ個人としてお仕事をいただけるレベルではないことも分かっていました。
だとしたら現時点で大事なのは、とにかくリハーサルに参加してレッスンに通って、膨大なレパートリーを覚えたり自分の歌のレベルを上げることに集中すること。

そしてそれをするなら、わざわざ会社を辞めてアルバイトで新しい仕事を覚えたり、シフトや収入を気にして生活するよりも、今のこの会社で大部分のことが分かるようになっていて、日常の業務は自分でコントロールできる余裕もあって、何より楽しい!と思えている状態を手放す必要はないんじゃないか?
そんな風に思うようになったんです。


パラレルワークで好きなことも仕事にするためのポイント

Point④常識にとらわれない!『自分はどうしたい?』が大事

とは言え、最初は少し悩みました。だって音楽活動をすると決めていたのは自分だったし、とりあえず就職して3年経ったら辞めよう!と決めていたのも自分だったから。
決めた当時の自分の約束を守ってあげてないことになるのでは?なんて考えていました。
何より、当時の私は「パラレルワーク」という言葉もそんな働き方が世の中にあることも知らなかったんです。(なんせ今から13年も前のことですから)
もしそれを知っていたら、悩まずに決められたかもしれませんね(笑)
でもそんな「パラレルワーク」という働き方を知らなかった当時の私が、悩んで考えて行き着いたのがこの結論。

『常識にとらわれることない!仕事は1つって誰が決めたの? 自分がどうしたいのかで決めれば良いじゃん!』

この時から、私の働き方のスローガンとして「仕事は1つじゃなくていい!」というワードが掲げられるようになります。
しかもそこに込めていた想いは「それぞれの仕事に本業と副業という差は無い、収入の金額の問題じゃ無い。どれも私にとってのお仕事!」という考え。
まさに複数の仕事を並列に考えたパラレルワーカーな働き方ですよね。

13年前の日本の社会なんて転職こそよく見かけるようになったものの、副業すらまだまだ珍しくパラレルワークという働き方のイメージを理解している人は、私の周りにはいませんでした。なので当然、相談できる相手もいません。
でもどちらも楽しいし辞めたくない。欲張りたい!(笑)
だからとにかく常識にとらわれず、自分がどうしたいか?を大事にすることにしたんです。
もし当時の社会の「常識」や「当たり前」という枠に縛られていたら、会社員としての仕事と歌の仕事を両方やるなんて結論には至らなかったと思います。

今の世の中であれば、副業やパラレルワークといった働き方も以前よりは理解されやすくなっていると思います。
周りの目や長い社会人人生の中で染み付いてしまった常識や当たり前…と思っている考え方から思い切って離れて、「私はどうしたいのかな?」「周りの目や常識に縛られないとしたら何がしたいかな?」と自分に問いかけてみると、自分がパラレルワーカーとしてどうなりたいのかが見えてきますよ。

次回はいよいよ最終回!
2足の草鞋で会社員と歌の仕事をするようになり、徐々に歌の仕事が増えてきた私がパラレルワークを実践する中で実感したパラレルワークのオススメポイントをご紹介します!


(編集部)
かつて作曲家でありフォークシンガーの「小椋佳」さんは銀行員をやりながら歌手で全国ツアーをやっていたことは有名(ビジネスマンとしてもすごい経歴です。wiki)。しかしそれは当時は特例みたいなものでした。時代も変わり今では「企業内〇〇」と言ったタレントは多いですし、複数の企業で、まったく別の仕事をパラレルワーク。そしてどちらも楽しくヤリガイがある。そんな時代になっていると言えるのではないでしょうか。

パラレルワーク3

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