役員プレゼンで出てきた課題は、クライアントからリクエストの多いモバイルビューの対応。懸案の一つだったスマホファーストというUXであった。計画は頓挫してしまうのか?
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「近藤さん、どうでした」
と前田の抑揚のない声がPCから聞こえた。
「前田か……それがどうにもこうにもうまくいかなくてね」
と僕は辺りを見渡し、小さな声で言った。
代わり映えのしない、いつものオフィスだ。
「ここだけの話、沢田さんは開発部のリソースを別のところに注ぎたいらしい。それで役員の間で話がこんがらがっててね……もしかしたらこの計画、頓挫するかもしれない……」
「そんなことないですよ、一生懸命やったじゃないですか」
と隣のデスクで本宮がわずかに眉をひそめて言った。
「まあね、僕らは手を尽くした。あとは天命を待つしかない、か」
しばらく沈黙があった。結果も出ていないのに、僕は心底落ち込んでいた。
それは沢田さんに反対されたからではない。
沢田さんの「本当にユーザーが望むものとは何か?」という質問に答えられないからだった。
沢田さんの言う通り、前からグループ・オンのモバイル環境への最適化という作業は、ずっと宿題のように開発部に残っていたのだ。
「僕が山岡さんからSaaSの新規開発の話を持ちかけられたときに、しっかり現場のチーフとして、ユーザーにとって何が一番大切か、伝えられたら良かったんだ……
その時にモバイルビューへの対応が最優先だって言えていれば、中野さんには申し訳ないけど、コンサルティングへの時間やコストを割かずに済んだのかもしれない……
みんなをこうやって面倒に巻き込まずに済んだかもしれない」
「そんなことはないです、何を言っているんですか」
きっぱりと本宮が言った。
「近藤さん、しっかりしてください。私、今回のプロジェクトのことで色々と自分なりに研究してみて、分かったんです」
本宮は僕の目を捉えた。
顔が紅潮して、目に少しきらきらと星がかかっている。
僕はそこに軽く吸い込まれるような感覚を味わった。
彼女は表情を変えず、真剣なまなざしを僕に向けていた。
「SaaS移行は時代の趨勢ですし、そもそもSaaSはパッケージソフトのパイを着実に奪っているんですよ。一過性の流行ではないんです。
不景気が常態化して、どの企業も常にコストダウンに迫られていますよね。そのソリューションの1つがSaaSじゃないですか、そうですよね?」
「うん、確かに」と僕は本宮に同意した。
「イニシャルコストや運用・保守のコストを抑えられる。それがSaaSの強みだよね」
「SaaSで何か新しいもの、と考える中で、私もより便利なプロジェクト管理ツール開発の提案も出来た。
グループ・オンの企業間を連結させるモジュールがあることも思い出せたし、その上でその2つをミックスして、さらに良いものが出来るんじゃないか、という確信も手に入れられたはずです。
もしこれがモバイルビューの対応だけだったら、何も新しいものは生み出せなかったんじゃないですか?
確かにユーザーが今欲しているものを作るのも大切ですけど、時代が欲しているものを作るのも大事なことなんです! 私はそう思います!」
正直、僕は本宮の熱さに驚いて唖然として二の句が継げなかった。
しかし本宮は話を続けた。肩まである髪を掻き上げると、ピアスが揺れた。
「ユーザー本位というのは、今使ってくださっているユーザーだけに向けられたものではないと思います。私は自分の提案に、自信を持っています。きっとこのプロジェクト管理ツールが出来たら、多くのユーザーが喜ぶだろう、って。近藤さんは少し自信がないんですよ。
私は近藤さんが提案した『グループ・ワン』のコンセプト、面白いと思います。
かっこつけてますけど、『未来のユーザー』に向けて私たちが新しい、未知のニーズを開拓することも必要なんです!」
僕は心を打たれた。確かに、言われてみれば気づくことがある。
開発現場で、新しいものを作って行くよりは、クライアント企業からここを調整してくれ、あそこの機能を使いやすくしてくれ、バグが出たからフィックスしてくれ、そういう要望に応えていくことがほとんどで、対応に精一杯だった。
これでは開発というよりは修理屋かもしれない。
開発者魂とでも言うべきものを失いつつある。
「確かに本宮さんの言う通りかもな」
僕は頷きながら言った。
「よし、沢田さんにはそれを強く打ち出していこう!」
「あのう……」という声がPCから漏れた。前田だ。
「おう、どうした?」と僕は息巻いた。
「……沢田さんはグループ・オンのモバイルビューを実現したいのですか?」
「そうだけど、どうした?」
「だったら、ボクので良ければ使ってください」
「?」
僕は首を傾げた。
「どういうこと?」


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