初めての対面で、社長の山岡がコンサルティングを断る気満々だと気づいたコンサルタント中野。中野の行ったプレゼンテーションとは……。
(物語概要・登場人物の紹介はこちら)
「こちらが先日、近藤様のお話を伺い、作成したご提案になります」
中野は10枚綴じの書類を渡した。
それを見るともなしに見ていた山岡の手が止まった。
中野は山岡の表情が少し変わったのを見逃さなかった。
中野は間髪入れず話を続けた。
「SaaS型のグループウェアは中小企業を中心として、イニシャルコストの低減を理由に多く導入されはじめています。セキュリティや他システム連携などとの兼ね合いもありますが、運用・保守費用も抑えられ、信頼できる事業者も増えていることから、むしろ主流はSaaS型に移行していると言えるでしょう。
御社がSaaS型アプリケーションの新規開発を考えられるのは、実に時流に沿った当然のことだと思います」
山岡は手にしたシートをじっと眺めていた。
近藤は山岡が真剣に耳を傾ける様子を見て、「いつもそうしてりゃいいのに」と、口に絶対に出しては言えないことを思うと同時に、その後の成り行きを注意深く見守った。
「SaaS型にいつ移行するか? 今でしょ!」
中野は満面の笑みを浮かべて言い放った。
誰もクスリとも笑わなかったので、中野は何も無かったように続けた。
「すでにSaaS型のグループウェアは強豪がひしめき合っています。ですので、今から御社のソフトをSaaS型に移植するだけでは、シェアを取っていくのは、率直に申しまして、大変厳しいと言わざるを得ません」
山岡は中野の話をじっと聞き入っているようだった。
「それは分かっています」と山岡は言った。
「SaaSに移行しても、正直、出遅れ感はある。では……えっと、中野さんでしたね、あなたはどのようにお考えですか?」
山岡から初めての質問が来た。
資料には刺激的な文言がすでに添えられている。
山岡は既に目を通している。
中野のプレゼンテーションの極意は、相手を引き込むこと。
聞く態勢を作らせ、質問させること。
「近藤様からお問い合わせいただいたきっかけは、今ご覧の資料の3枚目になります。これはWeb上に掲載してあるものです。1年前のプロジェクトですが、SaaSのものとしては、非常にうまく行っていると、自信を持って言えます」
山岡はううむ、と声を漏らした。
もはや感情を外に出さないことは無理だった。1年前ということは、当然、後発組に属する。
それを成功させたとなると、何らかの手法、手段、その他のものを持ち合わせていることになる。
つまり、中野には秘策があるということだ。
山岡はその秘策について聞きたかった。
だが、初めは丁重に断るつもりでいたのだ。
さて、どうしたものか。
山岡は無意識に両腕を組んで、考え込み始めた。
中野は山岡の一挙手一投足を見逃さなかった。
そしてネコが窮鼠にとどめを刺すように、最後の一撃を放った。
「ではいったい、SaaSで何を作れば良いのか?山岡社長はその点に苦慮されておられるのではないでしょうか。企業ごとに、組織形態も技術も、そして状況も全く異なります。私がお手伝い出来るのは、その個別に異なる状況下で、諸条件を勘案し、出来ること、出来ないことの整理をすることです。
ICT業界で長くこのようなコンサルティングをやらせていただいておりますので、きっとお役に立てるのではと思いますが、いかがでしょうか?」
山岡はしばらく考え、分かりました、という風に頷いた。
「近藤君、少し席を外して貰えないか。ちょっと二人だけで話したいことがある」
「え? あ、はい。かしこまりました」
推移を見守っていた近藤は、言われるままに席を外した。
ドアが閉まるのを確認して、山岡はこう言った。
「『攻殻機動隊』、好き?」
今回は本文中に本来ここに書くであろうことを盛り込みました。
なのでちょっとしたメッセージのようなものを書きたいと思います。
形ある物、目に見えるものだけを売るわけではないという点において、士業、コンサルタント、エンジニア、各種専門家の方々などの多くは、実に様々な手段でクライアントの信頼を得ること、明確な費用対効果以上の価値創造・提供に日夜努めていることと思います。
それでも敢えて一度見直していただきたいのが、その努力の方向性と本質です。
この物語で山岡が取った戦略は、敢えて悪く表現するならば、
「見てくれの良いパッケージソフトを開発して、宣伝目的でばらまく」
というものでした。
販売後のサポートも当然続けていたと思われますが、パッケージソフト自体の更なる進化を目指して、社内のリソースを投入し、ひたすらマジメに開発を続けてきた、といったことではなかったはずです。
SaaS型の台頭に追随することもせず、またできなかったのでしょう。
そのしわ寄せが今になってきている。
ユーザのことだけを考えて開発することははっきり言って愚かです。
それでも一度信用してソフトを導入してくれたクライアントに対して、最大限のサポートを継続することこそが、本当に今後の事業の発展に、成功に繋がる活動ではないでしょうか。
もちろん取捨選択をするのは経営の常ですが、最初から切り捨てる前提で、このようなソフトを販売するという施策は、この情報化社会においてその場しのぎにすらならない可能性が高いでしょう。
誰かの役に立てること、自分がやるべきことをしっかりやる。
誰かが喜んでくれることを全力でやる。
こんな当たり前のことで、自らを今一度省みるのも良いかもしれません。
意外とすっきり見えて来ることもありそうです。
第19話 「心を開いて対話を始める」に続く
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