【英語への情熱 第1回】「ゼッタイ」「負けない」という強い気持ちが英語習得に大事なのです

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語学

2021/01/29

【英語への情熱 第1回】「ゼッタイ」「負けない」という強い気持ちが英語習得に大事なのです

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「憧れ」を「現実に」

大きくなったら何になりたいか。高校数学「因数分解」での追試を経て、高校2年から早々に「私大文系一本」に決めていた私は、高校卒業の頃には、いわゆる「スチュワーデス」(いまでは性差を正してキャビン・アテンダントと言いますね)か「海外添乗員」になりたい! と思っていました。その時代、英語を使う女性の花形職業といえば、何と言っても「スチュワーデス」。空を飛んで、海外に行って、お金をたくさん稼いで! ああ、なりたい! という憧れが大きかったのを今でも覚えています(事実、JALの三次試験面接までは通過しましたが、競争率は一体何倍だったのでしょうか)。そうでなれければ、「海外ツアーコンダクター」! これは高校時代に、母方の長兄である喜代春叔父が私たちの家に泊まりに来た時に、忘れもしない一場面が有ったのです。叔父が寝ていた布団の横に、「洋書のペーパーバック」がさりげなく置かれていました。喜代春叔父といえば、母の口癖であり自慢のネタでありました。「5か国語を話し、新聞を5紙読み(なぜか5だったのですが)、学生時代からモテてモテて!」と母が言う通り、叔父は俳優の田村正和をもっとカッコよくして(田村さん、すみません)、英語と仕事ができた大成功者だったのです。これは本当に間違いなく、後年私が訪れた叔父の南青山の素敵な広々としたマンションや、杉並区西永福の大きな邸宅は、紛れもなくビジネスでの成功を物語っていました。高校時代から英語ができた叔父は、その弟であるもう一人の雄治叔父(高校英語弁論部で優勝し、三井物産部長まで昇進)と共に、「英語ができるとカッコいい」という思いを、私の十代の幼いハートに消えることなく焼き付けたのです。

長々と書きましたが、「強い憧れ」は、とてもポジティブな動機付けになると確信しています。結局「スチュワーデス」にも、海外添乗員(近畿日本ツーリストには内定を頂いていましたので、そのまま入社していれば今頃は違う形で海外を飛び回っていたかもしれません)にもなりませんでしたが、「英語が話せれば、違う世界が開けるんだ」と深く信じて、それに向かって実践してきたことで、パナソニック創業者の松下幸之助氏の著書『道をひらく』にも有る通り、将来、何をしていいのか情報が少なかった時代に(インターネットもSNS、もちろんパソコンもない時代です)「英語ができるとカッコいい ―> 英語を話したい ―>英語をもっと知りたい ―> 英語を極めたい」と段々と欲(目標)が大きくなり、持ち前の「気力」「体力」を駆使し、一歩一歩進んで来たことで確かに「道がひらけ」たと思っています。

「大学時代に英検一級合格」目標、そして達成!

さて、ここでまた少し1980年代半ば頃までタイムスリップさせて下さい。憧れの都心キャンパスで「ルンルン」(知っていますか? 当時の流行語「上機嫌」の意味です)の私は、ここで「キャピキャピ」(これも流行語! 「はしゃぐ」の意味))する代わりに、大学生活の記念となるような大きな目標を一つ立てたのです。それは「卒業までに英検一級合格!」でした。自分に合った英語の勉強の仕方もようやく分かり、体力・気力に任せた猛勉強の甲斐あって、英語のボキャブラリー、文法、リーディング、いわゆる「受験英語」にはかなり自信が有りました。ですが、大学では当たり前のように外国人教授による講義が英語で行われるとなると、講義はもとより、宿題の内容さえわからないことがありました。一方で、多くのクラスメートが全く問題なくスラスラ理解し、ペラペラ会話しているというのに! 新宿駅に出口が幾つも有ってどこに出たら良いか分からない! 人の歩くスピードが速く道路が狭い! 皆な、どこか垢ぬけている! ゴキブリが飛んでいる!(初めはカブトムシかと思いました)等々、暮らしの中での「カルチャーショック」も幾つも有りましたが、メインの学生生活において、ほぼナチュラル・スピードで話される英語の講義が十分分からず、「コミュニケーションとしての英語」をしっかりやらないと置いて行かれる! という切実かつ現実的な危機感を覚えたのが、たぶん「英検一級合格」にこだわった私なりの理由でした。

TOEICは、今でこそ英検をしのぐ受験人口や認知度が有ると思いますが、当時は「英語スキルを公的に証明する資格試験」というとまずは「英検」でした。その最難関レベルと位置付けられる「英検一級」の良い点は、リスニング試験も有り、二次試験に進むと「英語面接試験で2分間のパブリックスピーキング」が行われること。この試験に合格することは、まだまだ英語コミュニケーションスキルが足りないことを痛いほど自覚させられた「落ちこぼれ一歩手前」(英語授業ではそう感じていました)の傷ついたプライドを回復するベストの手段となるはずでした。

古い自慢話となりますが、私立文系クラスにいた高校時代の私は、英語の偏差値については、一年生次のクラスメートで東大医学部に現役合格した「二川先生」(同級生なのですが、お父様が校長先生で、服装自由な学校でいつも坊主刈り、学生服の姿で、大きなスポーツバッグに重い教科書類を全て詰め込んで、そのバッグの重みで片側に傾きそうに歩きながら毎日通学していました)の偏差値を一度英語試験で抜いたことが有る(校内の廊下に優秀成績者が貼り出されるのです)ことから、私のクラスメートから「英語の神様」と言われたことが有りました。英語だけは誰にも負けない、と思っていたくらいの「神様」が「落ちこぼれそうに」なっているわけですから、この時の私の心境は、当時合格率2%くらいだった英検一級合格というかなり高い目標を「ゼッタイ!」に達成したい、達成しなければという強い気持ちと生まれつきの「負けず嫌い」根性がムクムクと起きて、目標達成のためなら、あらゆる可能な手段を取ろうと心に決めました。

この頃、英語のスピーキングをどうにかスキルアップしようとして、アルバイト先近くのマクドナルドで人の好さそうな若い外人男性を見つけました(当時、来日外国人は欧米からが圧倒的でした)。十代まで、特に上京するまでシャイだった私は、なぜか怖気づくこともなく、Excuse me, but I am studying English. Can I practice my English with you now?’(「失礼しますが、今英語を勉強しています。今、あなたと英語を練習してもいいですか?」)と声をかけたのです。このアメリカ人青年のRandyは、ペンシルベニア大学在学中にサウジアラビアに留学し、アメリカに帰国する途中に日本に立ち寄った、本当にサワヤカで優しい外人でした。そして電車でも道を歩いていても英語で考えているような8時間以上に及ぶ日々の英語漬けとRandyの指導のもと、二次試験でのスピーキングでは全く余裕も何もありませんでしたが、面接委員の方はおそらく私の必死な熱意に根負けした(あきれた?)かのように一次・二次試験ともにストレートで合格できたのです。あれから何十年も経った今でもこの「ゼッタイ」「負けない」という強い気持ちは持ち続けていると思いますが、これが英語キャリアにおいて特別プラスに働いてきたのだと確信しています。

(次回は2021年2月5日(金)の予定です)

印田 知実

印田 知実

いんでん ともみ

上智大学文学部英文科卒業。外資系銀行、エアラインの役員秘書を経て、中近東(バーレーン)勤務。湾岸戦争直前に帰国翌日に元防衛庁統合幕僚会議議長の私設通訳兼秘書となる。一方で平成3年に有限会社メドフェインターナショナル設立。各国語の通訳、翻訳を中心に、語学人材を派遣する委託業務も行なう。自ら通訳(マーケティング、医学/製薬、製造、官公庁、アカデミック等、分野を問わず)、翻訳にて、国内外を飛び回る傍ら、...

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